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自分にとって

 自分の考え方は当たり前すぎて、客観的に見ているつもりでも見えていないことがある。以前哲学のページで書いた「嫌味」についてと同じで、人は自分が思い描いている自分を、「人にもこう思われてる」と解釈する傾向がある。予測と想像で。(これを一概に悪いと言っているのではない)人の心なんてそんな簡単なものじゃないのに。

 数日前こんなことがあった。ノンフィクション小説に、ある女性、仮にAさんが口汚く罵り侮辱するレビュー(?)を書いた。プロフィールに「頭悪そうなやつお断り」と書いているAさんは、レビューでも読む人を挑発する書き方をしていた。当然その場所で、賛否両論、激しい言い争いが繰り広げられることになる。Aさんの意見と逆の意見は「信者」と括られ、偽善者とかキモイ等々書かれていた。普段なら関わらないところ、私もその小説のレビューを書いていたため、会話に参加してみた。(暇だったのかもしれない)

「信者という言葉、自分が認めない対象を認める人々という意味で使われていますよね。●●さんと違う意見(信者)を「偽善」だと断言される根拠はなんですか?よかったら参考までに聞かせてください。」

これを読んだAさんから、

「説教される覚えはないし、自分のいってることが正論だと皆思って叩きつけてくるけどそんなのあたしはどうでもいいし関係ない(中略)頭使え。」

という長文メールがきた。
 もちろん。私はAさんの書き方はすきじゃない。かと言ってそれをどうこう言うつもりもないし、言ってない。でもAさんの頭には「人にこう思われているだろう自分」があって、それをもとに私を判断した。つまりそれは、自分が人に説教されるようなことをしてると自覚しているということだと思う。そしてそれは、逆に私にも同じことが言える。
 結局、質問の回答は得られなかった。まぁ、そんなものかな。私みたいなとぼけた(?笑)書きこみは、逆にばかにしているように受け取られることが多い(極端に走らなきゃいけないの?)から、そういう場での発言は控えるようにしていた…のに書いてしまったし。

 で。今回のことで私が感じたことは。あたり前だけどみんな自分中心で、それぞれに美学、価値観、ゆずれないものがあって。Aさんも私も、結局似た者同士ってこと。だからこそお互いが成長しあえるように、冷静に意見の違いを話し合いたいと思った。自分の考えが絶対と思っていたら人としての成長はないから。まぁこの考え方自体、拒否されるかもしれないけどw

 人のことをとやかく言うのはすきじゃない。自分の言葉に責任を持とうとすると、簡単に何かを断言することはできなくなる。それは自信のなさや逃げ道なんかを含みつつも、謙虚で誠実な姿勢だと思う。だから私は、穏やかで柔らかなスタイルがすき。

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